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時計修理・
メンテナンスのコラム

時計の組み立て工房からオメガ(究極)の誕生まで

1848年、若き時計職人ルイ・ブランがスイス西部のラ・ショー・ド・フォンで小さな時計工房を開設しました。
家族の支えを受け、彼の情熱と革新の精神は、時計産業に新たな風を吹き込みました。

ルイ・ブランと彼の息子たちによる挑戦と努力が、最終的に「オメガ」という名の象徴的なムーブメントを誕生させます。

このコラムでは、時計の組み立て工房から始まり、世界的なブランド「オメガ」への成長を遂げるまでの壮大な物語を探ります。

オメガの歴史を変えたブラン家の革新と成果について、一緒に旅してみましょう。

若き時計職人ルイ・ブランの工房開設

ルイ・ブラン

画像出典元:オメガ公式

1848年、スイス西部のフランス国境に近いラ・ショー・ド・フォンの町に、家族が所有する家で若き時計職人ルイ・ブランは時計工房を開きます。

ルイ・ブランの工房は文字盤やケース、ムーブメントも専門の工場から仕入れ、組み立てだけを行ういわゆる「エタブリス―ル」でした。

当時のスイス、特にラ・ショー・ド・フォンなどの時計産業は、手作り工房から徐々に工業化へと発展する段階にあり、世界的にも時計の消費は増加していく傾向にありました。
ルイ・ブランの興した事業は、まさに時代の要請にこたえるものだったのです。

ルイ・ブランが他の「エタブリス―ル」と違っていたのは、創業間もないころから彼は海外にまで販路を拡大しようとしていた点です。
工房設立2年後には、ドイツでライプチヒの見本市を訪れたあと、フランス、イタリア、ベルギー、オランダ、オーストリア、スカンジナビア諸国にまで足を伸ばしています。

精度に強い情熱を抱いていたブランの高品質な時計に対する評判がスイスに留まらず、すぐにヨーロッパ中へと響き渡るのは、積極的な国外への進出の姿勢を当初から持っていたことが一因だったと想像することは難しくありません。

息子たちへのバトンタッチ

順調に業績を伸ばしていたルイ・ブランは、次男のルイ・ポール・ブランとともに1877年「ルイ・ブラン父子会社」を設立しました。

ただ残念なことにこの設立からわずか2年でルイ・ブランはこの世を去ります。

1879年のルイ・ブランの死去により、ルイ・ポールの弟であるセザールが経営に参加。
この兄弟がその後のオメガの発展と名声の確立に大きく寄与します。

彼らが行った最初の大きな変革は、1880年に、工房をラ・ショー・ド・フォンから活気に満ちた街ビエンヌの、より大きな建物へと移転させたことです。

ビエンヌを選んだ理由のひとつは工房で働く労働力が得やすいこと、さらに工業化・機械化を進めていくためのエネルギー資源が豊富にあったことなどがあげられます。
ビエンヌに移転した時点でルイ・ブラン父子会社は組み立てだけを行う「エタブリス―ル」から「マニファクチュール」へと変貌を遂げます。

彼らはシリンダー脱進機を装備したムーブメントを開発し、ユラ、パトリア、ヘルべチア、セルティック、等のブランドで販売しています。

1880年1月に移転した当初はブジャン通り119番地の建物の3階を間借りしていましたが、わずか10か月後には建物全体を買い取るほど事業は急激に拡大していきます。
その後、ヤコブ・スタンプフリ通り96番地へと移り、現在でもオメガの本社はこの地に構えています。

ブジャン通り119番地

画像出典元:オメガ公式

1885年、初の量産キャリバーからオメガへ

ビエンヌに移転してから5年後、ブラン兄弟は新製品の開発に成功します。
それがレバー脱進機(現代の機械式時計と同様の構造)を備えた量産型キャリバー「ラブラドール」です。

1日の誤差が30秒という「ラブラドール」は、当時において画期的に高い精度を誇りました。
ルイ・ブラン父子会社は市場をブラジルやアルゼンチンなどの南米諸国、アメリカやカナダなどの北米にも拡大。移転当初に250人だった従業員は1889年には600人。生産数は年間10万個を突破。
ルイ・ブラン父子会社はスイスでも有数の時計メーカーのひとつとなっていました。

ここにおいてブラン兄弟は社名を変更に踏み切り、兄弟での経営であることをはっきりと示す「ルイ・ブラン兄弟会社」へと商号を変えます。
そして1894年、ついにひとつの究極ともいえるムーブメントの開発に成功します。キャリバー19=オメガの登場です。

このキャリバーは、ただ精度が極めて高いだけでなく、部品を標準化させることで互換性を持たせ、合理的な生産を実現しました。心棒と竜頭で巻き上げと時間設定ができる点もまた革新的で、今日に至るまで広く使われ続けています。

ブラン兄弟は、このムーブメントに最高の達成を意味するオメガの名を与えました。
このムーブメントの成功はあまりにも絶大だったため、ブラン兄弟は企業の名前を”OMEGA WAtch Co”へと改名。1903年までにオメガは、スイスで完成品腕時計のマニュファクチュールとして最も大きな会社となりました。

オメガ初代キャリバー

画像出典元:オメガ公式

五十君商店について

1930年創業。年間修理実績10万本以上。 わたしたちは時計修理業界のリーディングカンパニーです。

弊社は時計修理一筋90年以上の不器用な会社ですが、これまで多数の有名百貨店や時計店とお取引をしており、ビックカメラさんやヨドバシカメラさんといった大手家電量販店の時計修理コーナーの運営も担っています。

手前味噌ではありますが、弊社の技術力は時計修理の業界内でも高い信頼を得ていると自負しております。

また、弊社、2月1日より開始いたしました新サービス『時計のライフプランナー』では、お客様のニーズにあわせた最適な修理方法をご提案いたします。

サービスの概要は
①お客様のご希望に沿った修理内容のご提案
②必要に応じオプションでのメンテナンスをご提案
③アフターサービスによるお客様の満足度の向上 となっております。

時計のライフプランナー』では、メンテナンスにかかる金額に関しても各項目明示し、ご提案させていただきます。

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参考文献

『機械式時計大全』山田五郎 (講談社選書メチエ)
『THE OMEGA BOOK 時計氏に燦然と輝くスイスの最高峰ブランドーオメガ150年の軌跡ー』(徳間書店)

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